
長崎のローカルスイーツといえば、やっぱりカステラ。お土産の定番品です。
とはいえ、波佐見町にカステラのイメージがある方はそう多くありません(お隣の有田町とセットにされることも多いので、佐賀と勘違いされている方も…笑)。福岡から移住した私もそうでした。
私が「福田屋本舗」のカステラに出会ったのは、10年くらい前のこと。
「波佐見にも美味しいカステラがあるんよ」とご馳走になったのが最初でした。フォークを入れると、ふわっと、でもずっしり。大好きな下の紙のところにザラメもあって、「そうそう、これこれ!」と興奮。
その日から、私のカステラは「福田屋本舗」になったのですが、数年後、気がついたら突然に閉店していました。「そうか。好きなものが、当たり前にずっとあるわけじゃないんだ」と寂しくなったのを覚えています。
それからしばらく、いや長らくして。
「福田屋本舗」は静かに再開していました。
さぁ今回は、波佐見町民が親しんでいるカステラ。そして、そのカステラをおじいちゃんから次の世代に繋いだ孫夫婦の話です。
戦後復興の小さな挑戦
じいちゃんが始めたお菓子屋さん
まずは「福田屋本舗」の始まりから。
創業したのは福田吉起(ふくだよしき)さん。終戦から9年が経ち、日本が復興へと動き出した1954年に創業しました。長崎の丁稚奉公先で学んだ菓子づくりの技術と、「美味しいお菓子を食べたい」という純粋な気持ちが原動力でした。

「小さい頃ここに来たら、じいちゃんがお菓子をいっぱい食べさせてくれたんです。バットいっぱいの牛乳プリンやカットする前の大きなカステラ…。まぁその頃は、ちょっと食べ飽きてましたけど 笑」と話すのは、現在の店主で吉起さんの孫である平野政史(ひらのまさひと)さん。当時はカステラだけでなく、マルボーロやロールケーキ、アイスなども販売しており、近所の子どもたちで賑わっていたそうです。
政史さんは、吉起さんの娘の次男。里帰り出産で産院は佐世保市ですが、生まれも育ちも福岡市。吉起さんの背中を追いかけた菓子職人…ではなく、実は世界を舞台にミュージシャンや作家として活躍するアーティストです。
「最初は店を継ぐつもりはなかったんです。でも、じいちゃんが高齢になって“カステラこれからどうするの?”っていう話は家族でしていました。じいちゃんはもともと、小さいころから自分にやらせたいっていうのがあったみたいですが、自分は海外に住んでいたりと定住しないタイプだったので…。ですが、日本に帰ってきてからは、ここに来る口実みたいな感じで、じいちゃんばあちゃんのカステラづくりを時々手伝うようになりました」
“お前がせんなら、墓に持って行くからね”
途絶えかけた「福田屋本舗」のレシピ
2016年頃、吉起さんの体力的な理由により惜しまれつつ閉店。家族の中で「せっかくのカステラ、もったいないよね」という話になったものの、吉起さんは親族への相伝しか考えておらず、外に技術を出すつもりがありませんでした。
「じいちゃんからは“お前(政史さん)がせんなら、墓に持っていくからね”と言われていました。店を継ぐ予定はなかったんですが、それならじゃあ、レシピは一旦引き継いどこうかということになって」


レシピの書き起こしに始まり、オーブンの火加減や天板をひっくり返すタイミングなど、最初は吉起さんと一緒に作りながら技術を学びました。
「じいちゃんが感覚でやってきたことの引き継ぎが難しかったですね。レシピもなく、材料の計量も昔使用されていた尺貫法(しゃっかんほう)だったので、現在のgに変換することからのスタートでした。それに、ここは大手とは違って、オーブンの温度管理もオートではないので、すべて手動での細かな調整。最後にはじいちゃんはほとんど目が見えなくなっていたのですが、火加減を変えるメモリをほんの少し動かしたりと勘というか経験というか…」
吉起さんが作業場に立てなくなってからは、政史さんが一人でカステラを焼き、吉起さんに味を確認してもらっていたそうです。“修行期間”ともいえるこの時期を重ねたあるとき、「これなら出していいよ」と吉起さんのお墨付きをもらった政史さん。知り合いや町内のスーパーでの販売からスタートし、再開が認知されてからは現在の店舗での販売も始めました。平成から令和に切り替わる頃のことです。
吉起さんの逝去後にも
家族の中に明確にある“うちのカステラ”
吉起さんが亡くなった2021年。
おばあちゃんに頼まれ、葬儀の香典返しに政史さんはカステラを焼きました。
今は味を確認してくれる吉起さんはいませんが、“うちのカステラ”の味は家族の中にあると言います。
「どこのカステラよりも、ここのカステラを一番食べてきているから、自分の中に明確に味がある。自分もそうだし、家族もそう。“そう、この味だよね”というのは家族の中で確認ができます。良し悪しじゃなく、うちのカステラかどうか、という感じ」

タマゴ、ハチミツ、小麦、砂糖。カステラの材料は極めてシンプル。その分、材料の変化が味に直結してしまうそう。中でも、ハチミツは「福田屋本舗」のカステラの味を決める大切な要素です。

「福田屋本舗」のカステラは、フォークを入れるとジュワッと音が聞こえそうなほどしっとりと贅沢な重みを感じます。アルゼンチンなど海外のハチミツの食べ比べもしてみたそうですが、吉起さんのカステラには国産のハチミツしかないと分かり、現在は長くお付き合いのある養蜂家を中心に国産ハチミツのみを使用しています。
「ある時のカステラを食べてみたら、あれ?今回のハーバルじゃない!?って。蜂が蜜をとる花でカステラの味が変わるんです」と話すのは、政史さんの妻の世梨花さん。大村市出身でカステラには馴染みがあると話す世梨花さんは、現在は3人の子育てに専念していますが、吉起さんと一緒にカステラを焼いた貴重な一人です。
最初は売り物にならないカステラも多かったそう。
「きれいに焼き上がったと思ったら、次第に萎んでしまったりと失敗も繰り返していました。おじいちゃんが亡くなった後は、焼き上がったタイミングでおばあちゃんが見に出てきたんですが、焼けたカステラを見て泣いているんですよ。うまく焼けても、うまく焼けなくても…笑」と世梨花さんがその頃を思い返します。
残すのは味だけじゃない
じいちゃんこだわりのパッケージ

引き継いだのは味だけではありません。昔懐かしい、“これぞカステラ!”と称えたくなるようなパッケージも政史さんと世梨花さんはそのままに残しました。
「箱も包装紙も、創業時におじいちゃんがオリジナルで作ったものなんです。包装紙も既製品じゃなくて版から。私たちの親世代は少しダサいと感じるみたいですが、私たちは“このままがいいんじゃない?”と一致しました」と世梨花さん。
吉起さんが取引をしていた紙屋が廃業した時も、他のものに変えることは考えず、今までのパッケージを引き継げるよう新しい取引先に再現を依頼しました。
「最近になって、包装紙の版が見つかったんです。この包装紙の色、何色なん?って感じでしょう 笑。でも、自分たちはこれをやりにきているから、カステラはもちろん、パッケージも変えるつもりはないんです」
儲けようとしている商売じゃない
町の人が買いやすい価格で
様々な価格が上がり続けている今、「福田屋本舗」にもその波は押し寄せています。材料費や包装資材などの高騰で二度価格を改定しましたが、カステラを親しんでくれている町の人が買いやすい価格にしておきたいという思いで最低限に留めました。

「コストダウンして違うものを作ったり、味を変えてまでこの商品を継ぐ意味は感じないんです。じいちゃんのカステラを繋ぐためにやっているから」と政史さん。
「おじいちゃん、おばあちゃんがお世話になっている波佐見だからというのもあります」と世梨花さんも続けます。

アーティストとしても活躍しながら、月に2〜3回カステラを焼く政史さん。福岡からの移動時間だけでも往復約3時間。それでも、お店を続けています。
「人に欲しいって言われるものを作り続けるのは難しい。70年・80年“美味しいね”って言われるものを作った、じいちゃんのわがままさと商品力は凄いですよね。自分たちは“これを作るために来ているから、もうこれっしょ”という感じです」と政史さんは前を向きます。

代替わりのタイミングで、商品やサービスを時代に合わせてリニューアルする事例もよく見かけますが、「福田屋本舗」のカステラを引き継いだ二人は、できるだけ変えないことを選びました。
「自分の子どもがいい歳になるくらいまでやりたい」と話す政史さん。
こうして、波佐見町民が親しむカステラの味は、じいちゃんの味を誰より大事に思う孫夫婦に受け継がれました。

※上記は店舗限定価格(発送やイベント販売では一斤3,000円、半斤1,600円)

福田屋菓子舗
住所/長崎県東彼杵郡波佐見町折敷瀬郷2136
営業時間/12時〜17時(売り切れ次第終了)
問い合わせ/090-2716-2958(日祝を除く10〜17時対応)
メール/fukudaya@nagasaki.email.ne.jp
Instagram/@fukudaya.castella
※在庫状況など、最新情報はInstagramでご確認ください
※波佐見町ふるさと納税にも出品しています
{そのほか、波佐見で購入できる場所}
はさみ温泉 湯治楼
住所/長崎県東彼杵郡波佐見町長野郷558-3
※半斤と1/4斤のみの取り扱い

