姿勢が良く、いつも快活で、行動派な裏邉正美(うらべまさみ)さん。正美さんの周りには、年齢も性別も国籍も様々な人が集まってきます。聞けば昭和30年生まれの御年70歳!
どうしてそんなに体力があるの?そのパワフルさの秘密は??
うーん、うーんと考えていたところ…。その謎は、Instagramのプロフィールであっさりと解けました。

#山大好き山バカです
なるほど。正美さんのパワーの秘密は山なのか!!
ということで、40歳を過ぎ体力下り坂の私も山登りを開始。小学生になった娘と山登りを始めてはみたのですが、
「近場で子どもと行くならどこがいいんだろう?」
「装備はどれがいいのかな?」
と疑問符だらけ。
ということで、山バカ(敬意を込めて)の正美さんに山登りのことを教えてもらう連載をスタートします。第1回(1座目*1)は、そもそも“正美さんってどんな人?”というお話です。
*1…登山回数を数える単位のひとつ“座(ざ)”。古来、山頂は神様が座る場所と考えられてきたためという説もある
聞き手は、イクツアルポークの福田です。

18歳で対馬を出て福岡市へ。大きなお屋敷のお手伝いさんに
—— イクツアルポークは、移住定住をテーマにしたWEBメディアなんですが、実は正美さんも移住者なんですよね?
「そう、対馬の美津島町(現在の対馬市)です。そこに18歳までいて、高校卒業して福岡に出ました」
—— 18歳で島を出られたんですね。就職ですか?
「就職というか…私はよそに勤めるのが嫌いで 笑。可愛がってくれていたご近所の方の紹介で、福岡市の大きなお家のお手伝いさんをしていました。10年くらいですね」
—— お手伝いさん!!それは住み込みの家政婦さんってことですか?ドラマみたい…。
「掃除は別の方が来られていたんですけど、家のこと全般、お料理を作ったり奥様のお相手をしたりもしていましたね。私は18歳で、そこのお家には娘さんがいなかったから娘のように扱ってくれました。お茶会なんかもあったりするから、働きながらお茶会の稽古も行かせてもらったり。すごく良い方々でしたね」
—— そこで10年間働かれたんですね。その後、どういった経緯で波佐見に。
「佐世保に住む姉の紹介で今の夫に出会いました。ここ(波佐見の自宅)でお見合いして、28歳で結婚。まぁ、いいかなって感じで 笑」
—— まぁ、いいかな 笑! でも、福岡でも出会いがあったんじゃないですか?
「福岡でもお見合いはしましたよ。でもなんかね、って感じで 笑。実は若い時から、田舎で商売があって生活ができて、おじいちゃんおばあちゃんがいる暮らしもいいかなっていう考えがあったんですよ。都会にはたまに出られればいいかなって。だから、その通りになったって感じ。暮らし始めてすぐ、長男が生まれた後に夫の父はすぐに亡くなってしまったんだけど」

子ども4人を育てながら、家業の生地屋に。無我夢中に体を動かす日々
—— 経験のない生地屋のお仕事は大変ではなかったですか?
「暇な時は生地の接着とか手伝いをすることもあったけど、基本は配達の仕事をしていましたね。私はじっと座っとくのは好きじゃないから 笑。私が嫁いできた時は、土瓶・急須を手鋳込み(*2)で作っていたんですよ。急須はいくつものパーツに分けて作るんですけど、パーツごとに外注するほど忙しかったですね。それに、その時は茶漉しの卸しもしていたから、さらに忙しくて波佐見じゅう配達していましたよ。注文を受けて、外注に分配、配達、集金…。その代わり、夫の母が黙々とする作業が好きな人で生地づくりの方をやってくれていました」
—— 今、生地屋の仕事は娘さんふたりが引き継いでされているようですね
「うちは長男・長女・双子(さいちゃんとめぐの姉妹)の子どもが4人いるんだけど、きょうだいの中で“まぁ、商売するんだったら私たち(双子姉妹)やろうね。お兄ちゃんは手仕事には向いてないよね”っていつも話をしていましたね。夫も長男で家業を継いできた身だから、長男には“好きなことをしていい”と言ってきました。長男は、広島でIT関係の仕事をしています」
—— 家業である生地屋は、子どもたちに引き継いでほしいという気持ちがありましたか?
「それは全くなくて、自分たちの代で終わらせても良いって思ってました。でも、さいちゃんが就職先の福岡から帰ってきて、せっかく機械があるからやろうかって。めぐもその頃に一度帰ってきましたね。その後、ふたりは東京に行ったり、短期留学したりしてから波佐見に帰ってきました。ふたりが30歳少し前の頃ですね」
—— 正美さんは生地屋の仕事は引退されたんですか?
「65歳くらいまでやったかな。私が肩の腱板手術をして、それで重いものを抱えるのができなくなったりして。今は娘ふたりと夫、パートのおばちゃん3人でやっています」
*2…石膏型に水で溶いた陶土(泥しょう)を流し込む技術を鋳込みと言い、機械を使う“圧力鋳込み”と手作業で行う“手鋳込み”がある

山登りは45歳から!?お隣さんの誘いでスタート
—— 正美さんの人生が興味深くてもっと聞きたいんですけど、そろそろ本題の山の話に入ります 笑。若い頃から山登りはされていたんですか?
「いやいや、全然。46歳くらいやったかな?それまでは地元の山も登ったことないくらいだったんですよ。お隣さんから誘われて、黒髪山(*3)に行ったのが最初です。普通の格好で行って、もう10歩歩いただけではぁはぁ息を切らして 笑。でも、それが気持ち良かったから夫も誘って“行こうか”って。お隣のご夫婦と久住(くじゅう)とか涌蓋山(わいたさん) とか色々行きました」
—— 旦那さんと一緒に始められたんですね
「そう、最初は夫と行ってたんですけど、もうケンカばっかりして帰ってくるわけ 笑! 一緒に行ってるのに“俺はここまでで良か”とか言うもんだから。あとは出発の時間を言ってるのに、“そがん早く出らんでよか”とか言って、そしたら登山口の駐車場がいっぱいになって停められんやったりして“ほ〜ら、見てごらん!”って 笑。そういうことが続くもんだから、“もう1人ずつ登ったがいいよね”って」
—— 分かります 笑! 私も“誰かと一緒に”とも思ったりするんですけど、お互いのペースだったり楽しみ方が違うと気を使ってしまうなって思うと、なかなかできなくて。今は子どもと2人だけで行っています。正美さんはお子さんと登ったりしていましたか?
「その頃、子どもたちは小学校とか中学校のクラブで忙しいから、クラブに送ってから私は1人で山登りに行って。それで1人で登るようになったら、山友(登山友達)ができたりして」
*3…佐賀県武雄市と佐賀県有田町の市町境にある標高516mの山。新日本百名山および九州百名山の1つ



本格的な登山は60歳から。山で出会った“山友”とはLINE交換で交流
生地屋を引退し、今は週に1〜3回は登山をするという正美さん。1人で登山をしているうちに、山で友達ができるようになったそう。LINEには、住む場所も年齢も様々な“山友”がズラリ!
—— “山友”とはどんな登山をされるんですか?
「近所に中学一年生の女の子がいて、糸島の立石山に登って帰りに温泉に入ったり。近所にUNDOさんっていうカレー屋さんがあるんだけど、そこの安藤君と一緒に黒髪にも登りましたね。最近だと、山友さんのアテンドで北アルプスにも。北アルプスは本当にいいですね」
—— 北アルプスまで!?登山の楽しみは何ですか?
「一番は景色。あとは花かな!山の花は違いますよね。どんなにきつくても、花を見つけると元気が出ます。“こがん高いとこによく咲いてるね!雪があるのにどうしたと!?”って 笑」
—— 分かります。山野草の控えめな可愛さは花屋さんとの花とは違った魅力がありますよね。正美さんはたくさん登山に行かれていますが、記録をされたりしていますか?
「記録はYAMAP(ヤマップ*4)を使ってます。有料会員ですよ。山岳保険も入っています」

—— YAMAPに記録されているだけでも、283の山で518の活動記録がありますね!獲得標高は270,421m!? これは確かに“山バカ(敬意を込めて!)”です。
*4…電波の届かない山中でもスマートフォンのGPSで現在地を確認できる、国内最大級の登山・アウトドア向けスマートフォンアプリ。2013年3月からサービスの提供が始まった
さて、1座目はここまで。次の回では、
「日帰り登山の装備品を見せてください!」
です。“沼”とも言われる登山グッズ。さて、正美さんはどんな登山用品を使っているのでしょうか?

