
ソムリエから陶芸家へ転身
使われなくなった工房に新たな火を
廃業などで使われなくなった波佐見焼の工房跡を、工芸作家や起業家など新しい担い手に繋げる「波佐見空き工房バンク」。今回インタビューした金澤貴彦(かなざわたかひこ)さんも、この波佐見町ならではの取り組みを活用して移住したひとりです。
金澤さんが借りた工房は、約10年間使われていなかったガス窯付きの工房でした。約10年ぶりにガス窯の火が灯った日。それは偶然にも、この窯で作陶していたある陶芸家の10回目の命日でした。
大学卒業後は飲食の道へ
シンガポールではソムリエを5年経験
東京都出身。大学卒業後は飲食の道に進み、“海外でも経験を積みたい”と30歳でシンガポールに渡りました。シンガポールではレストラン専属のソムリエとして活躍していましたが、35歳を迎えひとつの思いが芽生えたと言います。
「35歳になり、人生の⅓が終わったなという感じがありました。ソムリエという仕事は尊敬していますが、ソムリエは誰かが作ってくれたものを売る仕事。シェフが料理を作り、ワインはワイナリーが作る…。“誰かの行動に委ねられている”というよりは、自分でゼロから作る仕事のほうが、これからの人生楽しそうだなと思うようになりました」
やるなら“トライアンドエラー”ができる早いうちに、と思い立った金澤さん。日本に帰国し、横浜にある専門学校で陶芸を半年間学びました。
東京で陶芸家として活動をスタート
“生きた情報”を求めて、やきものの産地へ移住
陶芸の基礎を学び、作品づくりを始めた金澤さん。飲食店時代の人脈もあり、シンガポールや東京のセレクトショップなどで作品を取り扱ってもらえるようになりました。
「東京では自宅の一室にろくろや電気窯、陶土などを置いて作品づくりをしていました。窯は小さなものだったので、作品の大きさも限られます。そうなると、広い場所が借りられて、生きた情報も手に入る産地に移住したほうがいいのではと思うようになりました」
やきものの産地である、唐津市や伊万里市、そして波佐見町を移住先として検討。自治体の窓口相談や一時滞在で物件探しをしたりと、新たな拠点を求めました。
「波佐見町は“空き工房バンク”という独自の取り組みをしていたので、自分のような外からの陶芸家もウェルカムな雰囲気なんだなと思いました。お試し住宅*1を利用して、空き工房を内見、アパート探しをしました」
*1…波佐見町への移住を検討している人を対象とした素泊まりの宿泊施設。


10年使われていなかった陶芸家の工房跡
町の補助金を活用しながら準備
金澤さんが借りたのは、波佐見町議員としても活躍していた陶芸家・松尾道代さんの工房跡でした。道代さんは2016年に大腸がんで逝去、それから約10年そのままになっていました。
「最初内見をした時、とても大事に使われていたんだなと感じました。あと、窯の導入コストは結構なものなので、ガス窯がついていたのも魅力でした」
ガス窯のメンテナンス、電気の配線など必要な工事類は波佐見町の「波佐見町空き家等改修事業補助金」、引っ越し費用などは「移住支援補助金制度」を活用しました。
「補助金を活用したので、想定していた費用の半分くらいには収まったかなという感じです。波佐見町役場は、書類を出してから申請がおりるまでがスピーディーだったので、とても助かりました」


町の温泉施設で働きながらの作陶
交友関係を広げながら地域に馴染む
工房の準備と並行して、アルバイト探しもしていたという金澤さん。
「工房が準備中で作品づくりができないというのもありますが、何より収入があることは精神的な面で安定しますよね。売れる商品を作らないと…という感じになると、自分の個性を伸ばす方向に集中できなくなるので」
金澤さんが選んだ仕事先は、波佐見町にある温泉施設「湯治楼(ゆうじろう)」でした。
「“チェンソー講習あり”という文言に惹かれて応募しました 笑。いずれは薪窯もやってみたいと思っていたので、アルバイトしながらチェンソーの使い方も覚えられたらいいなと」
湯治楼では、新たな出会いにも恵まれました。
「感謝祭イベントの時、波佐見町の商社マルミツで働く城戸君(写真左上)に出会いました。その後飲みに行って、“波佐見せんべろ*2”のメンバーに誘われました」
2月・4月と開催された波佐見せんべろでは、ソムリエの経験を生かしてワインをセレクトしバーカウンターを担当。新たな仲間にも出会い、少しずつ波佐見での交友関係を広げています。
*2…1,000円で麻雀牌5個と交換し、その牌を当日の通貨として使用するグルメイベント。地元飲食店が個性豊かな料理やドリンクを提供する。


個性的な陶土を使い
思い通りにいかない面白さを楽しむ
金澤さんの作品はまるでアート。“いつの時代か分からないような作品が好き”と話すように、ゴツゴツとした野生的な肌にカラフルな絵の具が散りばめられた、唯一無二な作品が印象的です。
絵付けの方法もユニークで、SNSで偶然見かけたアーティストの技法を陶芸に落とし込むこともあるそう。自作だというブランコのような道具で絵付けを施した作品は、まさに偶然が生んだ一点ものです。
「土は東京時代からお世話になっている岐阜の陶土屋さんのものを使っています。不純物が入った変わった土なんです。自分の中の“こうなったらいいな”が全く反映されず、コントロールできないのが楽しい。整ったものよりも、自分は使いにくいものの方が好きですね。不細工なイヌの方が可愛いみたいな 笑」
作品の販路は、日本だけでなく海外も視野に入れています。
「これからは、波佐見の空気感を入れつつ、自分らしい作品を作っていきたい。新しい波佐見焼のカタチを海外にも届けていけたら」と金澤さん。今後は、町のイベントにも参加していきたいと話してくれました。


初窯焚きは道代さんの10回目の命日
残されていた生地に釉薬をかけて
初めての本焼きは2月19日。偶然にも、この工房を使っていた道代さんの10回目の命日でした。
「狙っていたわけではなく、たまたまその日に予定していたら命日だと知りました。それであればと、松尾さん(道代さんの夫)と相談して、道代さんが残していた生地に釉薬をかけて焼いてみようということになりました」
「最初は工房を貸すことに抵抗があった」と振り返るのは、道代さんの夫・正道さん。思い入れのある道代さんの工房を“次の人に”と決心するまでに10年がかかりました。初窯出しで焼かれた道代さんの作品を手にした正道さんは、「よくできてるね」と嬉しそうな顔。
道代さんの思いが金澤さんに引き継がれた瞬間でした。


物だけでなく、思いも次の人に託す
空き工房の可能性
火が消えた工房の次の担い手となったのは、波佐見町に縁(ゆかり)のない東京からの移住者でした。
正道さんに今の心境を尋ねると「金澤さんが来てくれて、後を継いでくれて良かった」と穏やかな表情。工房を活用するだけでなく、正道さんや道代さんの思いに寄り添ってくれた金澤さん。ふたりの姿はまるで親子のように見えました。

