
求人に記された“未経験者でもOK”に導かれ
油絵からやきもの業界へ転身
「画家になりたくて、大学卒業後はアルバイトをしていました。けど、好きな仕事じゃないから辛くて、あまり長続きせず転々としていました」。そう話し始めたのは、大阪府出身の野田佳奈子(のだ かなこ)さん。波佐見町内で大きな規模を誇る波佐見焼の窯元「株式会社 和山」で働く職人です。
“せっかくなら、楽しめる仕事をしたい”と思うようになり、興味のあった陶芸の仕事を調べ始めました。しかし、どの産地も経験者を求める求人ばかり。“未経験者でもOK”という言葉が書かれていたのは、波佐見町くらいだったといいます。
「求人で和山のことを知って調べていると、あるWEB記事を見つけました。記事を読むと、町のなかでも信頼されているメーカーなんだなと感じました」。ハローワークでたまたま見つけた求人をきっかけに、「和山」への応募を決めます。
波佐見町はおろか、長崎県にも来たことがなかったという野田さん。面接で初めて長崎県に降り立ちました。


社長自らが空港まで送迎!?
ここで働きたいと思いを強く
「私が車の免許をもっていなかったので、面接のときに社長が長崎空港まで迎えにきてくれたんです」と驚いた表情で話す野田さん。なんと、面接の後には「やきもの公園」など町内案内までしてくれたそう。
「社長の温かさに、和山で働きたいという思いが強くなりました。あと、従業員数が多いのも決め手でした。従業員数が少ないと、人間関係も密なのかなと思っていて…笑。 ただ、私は来たいけど、受け入れてもらえるかなという心配がありました。未経験ですし」。その心配は杞憂に終わり、怒涛の展開をみせます。面接後すぐに内定をもらい、大阪に帰る予定を急遽変更。宿をとり、次の日には家探しを始めたそう。
「でも、波佐見は一人暮らし向けのアパートがあまりないんですね。1日では見つからず、一旦帰って改めてネットで探しました」と野田さん。面接からわずか2ヶ月後、野田さんは大阪から波佐見町に移住しました。


最初の絵付けはうさぎの耳を描く作業
一本の線に震える手
未経験で絵付け場に入った野田さん。大学で洋画を学び筆に親しんでいるとはいえ、やきものの絵付けはほぼ未経験でした。
「最初の絵付けは、うさぎの耳に線を一本いれるだけでした。でも、このたった一本の線がなかなかうまくいかない 笑。 最初は震える手で描いて、数ヶ月で少しずつ掴んできたと感じました」
指導してくれるのは、職場の先輩たち。30年・40年と働くベテラン職人が多く、どの職人も技術を惜しみなく教えてくれるといいます。「早いうちに現場に出るので驚きました。工場長が“やってみ、やってみ!”と。背中をおされて現場に入りました」。
絵付けの難しさや楽しさを感じている野田さんは、「波佐見陶磁器工業協同組合」が運営する絵付け教室で技術の向上に励んでいます。また、休日には、直営店の店番にアルバイトとして入ることもあるそう。お店に立つことで、意外な驚きや発見があったといいます。
「接客が苦手だと思っていたけど、自分が作っているものを売るのは楽しいと気づきました。“私が描いたんです”と言うと、喜んでくれたり、買ってくれたり」。今までは長く続かなかった仕事でしたが、気が付けば3年目になりました。

“馴染めなかったらどうしよう…”
知り合いがひとりもいない土地での暮らし
一度も訪れたことのない、知り合いがひとりもいない町での暮らし。“馴染めなかったらどうしよう…”という心配もあったといいます。
「暮らしだすと、そんなことはなかったです。私が移住者だからか、職場の人も気にかけてくれます」と野田さん。休日には、ベテラン職人さんの畑の手伝いに行ったり、隣接する有田町や嬉野市に食事に連れて行ってもらうこともあるそう。
「2023年に車の免許は取ったんですけど、まだ車は持っていないので基本的には自転車か徒歩での暮らしです」。雨の日は、近所に住む職場の人が会社まで乗せていってくれることも。絵付け教室での仲間や同業種の人、移住者など繋がりも少しずつ増えてきました。
波佐見で暮らしで驚いたことは、知らない人が挨拶をしてくれること。「通勤の時、ゴミ出しをしているおばちゃんや散歩している人、和山の近くには小中学校があるんですが、子どもたちもすごく挨拶してくれます。私が生まれ育った堺市ではそんなことはなかったから驚きました 笑」

1年目と2年目で見えているものが違う
これから見えてくるもの
移住して2年が経ち、3年目に入った野田さん。移住したての興奮がおさまり、少しずつ落ち着いてきたと感じているそう。
「1年目と2年目で、見えているものが違うと感じました。ということは、これから見えてくるものが変わるのかも…と期待しています。まずは続けることが目標」。今までは「つまらない」と感じながら、絵を描くためにしていた仕事でしたが、1つの作業に没頭できる「和山」の仕事内容は合っていると感じているそう。
最近では、器を見る目も変わってきたそうで、就業後には試作品づくりにも挑戦しています。「和山では、就業後に試作をしていいようになっています。自分のデザインで絵付けをして、釉薬をかけて焼成したりもしています。最近は、型や生地にも興味が出てきて」と試作品を見せてくれました。器に描かれていたのは、野田さんの油絵作品を思わせる温かでチャーミングな植物たち。もちろん、休日や仕事終わりに、油絵を描くことも続けています。
画家で生計を立てることを夢見て働いていた野田さん。違ったカタチにはなりましたが、“絵を生業にする”という自分らしい仕事を選び取ることができました。
“未経験者もOK”
この一言が動かしたひとりの女性の人生。「和山」の直営店に、野田さんの器が並ぶ日も遠くないかもしれません。


写真/山田聖也、藤本幸一郎(2枚目)、福田奈都美(4・8・9枚目)
※取材日/令和7年3月