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移住者が伝える、波佐見への移住

波佐見の特別な日も、普通の日も
町を見つめ記録する

「波佐見ケーブルテレビ」の始まりは、1989年に地元有志が立ち上げた「波佐見有線テレビ」です。2005年に「ネット鹿島」に営業権を譲渡し、それ以降は「波佐見ケーブルテレビ」として町の日々を記録し続けています。「波佐見ケーブルテレビ」の事務所を訪ねると、1993年からのテープがびっしりと保管されており町の歩んできた歴史を感じることができます。

佐賀県鹿島市出身
波佐見ケーブルテレビの中枢として

波佐見営業所長を務める德島賢一さんは佐賀県鹿島市出身。2010年に「ネット鹿島」に入社し、2011年頃から波佐見営業所の配属となりました。現在は、番組企画から撮影・アナウンス・編集、さらには営業、人材育成までと「波佐見ケーブルテレビ」のほとんどを担っているそう。「現場は出続けたいが、立場的には全体を見るような管轄の仕事にシフトする時期にきています」と話します。

目指すは“おらが町の放送局”
どこよりも地域密着で

波佐見に暮らしている人であれば、一度は見かけたことがある「波佐見ケーブルテレビ」の撮影現場。取り上げるのは、「波佐見陶器まつり」や「町内選挙」などの大きなイベントはもちろん、幼稚園の運動会や芋さしなど日々の行事までと幅広いのが特徴です。「地元の新聞社でも扱わないような小さなことも取り扱うのがポリシー。“おらが町の放送局”を目指しています」。保育園や小学校などの行事も放送されることから、新築の若い世帯からの契約も増えているそうです。
現在、「波佐見ケーブルテレビ」には3人のスタッフ、そして前身の「波佐見有線テレビ」時代からの外注カメラマンが4人在籍しています。「実は、波佐見に配属されたばかりの時は大変でした」と笑う德島さん。若く、よそ者だった德島さんと地元愛が強くベテランのおじさんたち。ですが、持ち前の明るさと実直さで3年もの年月をかけてゼロから関係を作り上げ、冗談を言い合えるほどの間柄に。今では、取材から納品まで一貫して仕事を任せられる信頼関係を築きました。

左)折敷瀬郷にある事務所 右)取材は基本ひとりで

町の空き家バンク制度を活用し
結婚を機に波佐見に移住

2016年に結婚し、一児の父でもある德島さん。結婚するまでは鹿島市から通勤していたそうですが、結婚を機に波佐見に移住しました。「取材で町内は回っていたので、移住を考えた時にはすでに下見は終わってました。 住むならここらへん、保育園はここかな…と 笑」。家を探しているなかで、タイミングよく条件の合う物件を見つけ、町の空き家バンク制度を活用して賃貸で契約しました。
「正直、屋根が厳しくて」と空き家の状態を話してくれた徳島さん。屋根や気になった水回りなどの修繕は、波佐見町の補助金を活用して大家さんと折半でリフォームを行いました。また、空き家には家財道具が残っていたため、使えそうなものはそのまま譲ってもらったそう。「結婚した時、お互い家具は何ももっていなかったので助かりました」と妻の雅子さん。センスよくコーディネートした部屋の中に、不思議と先住の方の家具がしっくり馴染んでいました。

4歳の樹君。保育園は出産前から親交のあった園を選んだ

子どもには
地域と暮らす体験を

“ムラ社会”と言われることもある地方での暮らしは、移住を躊躇させる要素のひとつです。德島さん一家は、「家というよりも地域が気に入っています」と今の暮らしを話してくれました。「子どもが生まれたばかりの時、ご近所の方が“大変だろうから”と食事を作ってもってきてくれたこともあった。あと、もらった野菜をお裾分けしたら、それが漬物になって返ってきたことも 笑」と雅子さん。“子どもには地域と暮らすことを体験させたい”という思いのもと、1歳の時から公民館の掃除など地域の出ごとに連れて行っていたそう。
「地域に入っていく側も、小さなコミュニティで暮らす努力は必要だと思います。面倒くさいと思われることも、実はやってみると楽しかったりしますよ」。“努力”という言葉を使いつつも、決して無理しているように見えないのは4歳になった樹君の天真爛漫な笑顔のせいかもしれません。

仕事柄、平日が休みになることが多いそうで、休日には樹君と「HIROPPA」に遊びに行って近くでランチをして帰ったりと波佐見で過ごすこともあるとか。公私共に波佐見にどっぷりの德島さん。「どこに行っても知り合いに会うから、休んでる感じはないですけどね」と笑う姿は、すっかり波佐見の人の顔でした。

※取材日/令和5年6月