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移住者が伝える、波佐見への移住

“生地”の名を屋号に掲げる
太田さんの想いとこれから

bisque=ビスクには、素焼きの磁器、生地という意味があります。2019年に生地屋として独立し、「Atelier Bisque」という屋号を掲げた太田祐子さんの想いをうかがってきました。

今の仕事に繋がる
松原工房での15年間

太田さんの出身は京都府。美術系の短期大学で陶芸コースを学んだ後、京都精華大学に編入し陶芸を専攻しました。大学を卒業した後、2年ほどアルバイトをしていたという太田さん。その時にも「陶芸をやりたい」という気持ちが捨てきれず、佐賀県有田町にある「佐賀県立有田窯業大学校」に入校。絵付けを1年、ろくろを1年学びました。
波佐見町に移り住んだのは2008年のこと。就職先で出会った女性と立ち上げた「松原工房」の拠点を波佐見に移したのがきっかけです。その頃の波佐見といえば、西の原に「monne legui mooks」や「HANAわくすい」などがオープンし徐々に若い人の注目を集め出したころでした。「すごくいいタイミングでした」と太田さんが話すように、女性ふたりで立ち上げた松原工房の器はみるみるうちに人気になっていきます。「とにかく忙しかった。私は生地を担当していたので、一日中ろくろの前に座っていたこともりました」と太田さん。立ち上げから15年、意欲的に器づくりに取り組む日々が続きます。
そして2019年。15周年を機に、それぞれ別の道を歩もうと「松原工房」を解散。太田さんはその年の6月に独立し「Atelier Bisque」をオープンさせました。

仕事の本筋は生地職人
手ろくろの繊細さを武器に

自身の作品作りもしている太田さんですが、仕事の軸は生地職人なんだそう。分業制でのものづくりをしている波佐見焼では、多くの窯元が生地を外部委託しています。「生地職人は依頼主の要望を汲み取って、理想の形に近づけていくのが仕事です。同じ茶碗でも、ふんわりとした女性的なフォルムにしたいのか、キリッとしたシャープさを求めているのか。軽い方が良いか、安定感のある重さが良いのか。依頼主の意図を汲み取りながら仕上げていきます」。手ろくろだからこそできる細かな調整と、意図を形にしていく太田さんの技術は評判で、町内はもちろん有田町など近隣の産地からの依頼も絶えません。
依頼主の理想の生地をひくことはもちろんですが、生地屋として生計を立てるために必要なことがスピードです。ひとつの茶碗にかける時間は数十秒。しかも、どれも均一でほとんどブレがありません。「松原工房で必死に生地をひいてきた経験が、今に繋がっています」というように、そのころの時間が今に繋がっていました。

深刻な生地屋の後継者不足
今までとは違う姿で未来を

今、波佐見町の生地屋は後継者不足で年々減り続けています。理由は様々ですが、ある生地職人の男性は「こんな大変で儲からない仕事は子どもにはさせられん」と話してくれました。今までの生地屋は、汚れる・体力が必要・儲からないというイメージが大きく、なかなか後継者や新規参入が見込めない職業だったのです。
「Atelier Bisque」のアトリエは、波佐見の町を見晴らす小高い場所に建っています。「波佐見の人はオープンで人が良い」と太田さん。この気持ちの良い場所も、アトリエを建てる土地を探していた時に紹介してもらったのだとか。「私の働く環境や仕事を見て、生地職人を目指してくれる人が出てきたら嬉しい」。その言葉を表すように、ギャラリーを併設するアトリエは誰もが憧れる空間になりました。

目に見えるかたちでの評価と
生地屋の地位向上

また、生地職人を生業とするために、太田さんが積極的に行ってきたのが資格の取得でした。2015年には長崎県で女性初となる「陶磁器製造・手ロクロ成型作業の一級技能士」、2018年には「波佐見焼・成型部門の伝統工芸士」を取得しました。「私は移住者で新参者なので、私の技術を信頼してもらうためには何か売りになるものが必要だと感じました。そのために資格を取得して“箔を付けよう”と思って。大変でしたが…」と笑う太田さん。技術の確かさを裏付ける2つの資格を得ることは、受注を獲得するとともに、今まで買い叩かれてきた生地の価格を見直すきっかけにもなりました。
10代の頃から手に職をつけたいと思っていたという太田さん。その夢を叶え、“生涯、生地職人”と掲げる姿に仕事の本質を垣間見たと同時に、波佐見町が抱える生地屋の後継者不足を解決するヒントを見つけたような気がしました。

※取材日/令和4年4月