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移住者が伝える、波佐見への移住

「きっかけは、お母さんがもってきた
有田窯業大学校のパンフレット」

「陶芸家になるつもりも、独立するつもりもなかったんですよ」と、不思議そうに話す朝長さん。きっかけは、高校生の時にお母さんが持ってきた「佐賀県立有田窯業大学校」のパンフレットにありました。やきものにも興味がなかったという朝長さんでしたが、〝近くて学費が安かったから〟という理由で、窯大への進学を決意。1年目は絵付け研修を行い、翌年からの2年間はろくろなどの成形技法を学びました。元来、もくもくと作業をすることが好きだったこともあり、作業に苦痛を感じることなく新鮮な気持ちで取り組んでいたとか。そして、窯大での3年を終えるころには、自然と窯業界への就職を考えるようになりました。

最初の就職は波佐見
陶郷 中尾山へ移住

窯大を卒業すると同時に、波佐見町中尾山の「伝習館」へ就職。観光客を受け入れる体験工房の運営を行いました。このタイミングで、生まれ育った佐世保から波佐見へ移住。「山で山菜をとったり、近所のおじさんが捌いたイノシシをみんなで食べたり、とても刺激的で面白い2年間でした」とその頃の暮らしを話してくれました。
 「伝習館」で働きながらも、自分の作品づくりは続けていたという朝長さん。「やきものの物流を知りたい」という思いから、波佐見町の商社へ転職します。そこでは営業企画、展示会のディスプレイなどを行い、4年の勤務の後、町内の窯元へ転職します。

波佐見の男性と結婚し
2人の男の子を育てる母に

2006年に波佐見の男性と結婚。窯元で勤めながらも、友人たちと工房をシェアして作家活動を続け、グループ展の開催や販売イベントなどへの出展も行います。最後の職場を退社してからは、自身の工房を建て、子育てと自分の作品づくりに専念します。
 「陶芸家になるつもりも、独立するつもりもなかった」という言葉に反して、卒業してから25年、気がつけばやきもの一筋でここまで歩んできた朝長さん。「独立を考えていたわけではなくて、最後の職場を退社した後、気がついたらこうなっていた」と笑って話すその気負いのなさが、日常に馴染む器づくりの秘密なのかもしれません。



多くの色を使わず、日々の生活に合う器。大好きなピアノやジャズをテーマにした作品も。
※取材日/令和元年7月